社長ブログ

浄土宗と浄土真宗では喪中欠礼はおこなわない。

2023.02.10

社長ブログ

浄土宗と浄土真宗では喪中欠礼はおこなわない。

浄土宗と浄土真宗では喪中欠礼をおこなわない?社長はまた変な事を言い出した(笑)。とお思いかもしれないですが、事実かどうか?両宗の僧侶にお聞きになられたら良いと思います。夫々の宗派の基本教義というより根本の佛教の基本教義はどうかと言いますと、お釈迦様の言われる様に正式な信者になりますと佛教で言う六道輪廻から離脱できる。

「六道」は生前の行為の善悪によって、死後に行き先が決まる六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)。「輪廻」は、車輪が回転してきわまりない状況で普通の人は必ずこの法則に従わなければならない。これが原則ですが、佛教の基本教義はどうかと言いますと、お釈迦様の言われる様に正式な信者になりますと佛教で言う六道輪廻から離脱できる。これを解脱といい所謂悟りを開くという状態です。悟りを開くと六道輪廻から離脱できるので人間は形態は人間のままだが、菩薩か仏の位になるのです。以後六道を回らないのです。

亡くなられても、逆に目出たいので浄土宗と浄土真宗では喪中欠礼をおこなわないという訳です。

浄土宗と浄土真宗では宗が起こした時点ではこの教義が忠実に守られていましたので亡くなる事は悲しい事とか悔やむべき事とは記載されていないからです。逆に菩薩や佛になられるので目出たいと言われていました。亡くなられたのに何がお目出たい?と思われるかもしれないです。

佛教の大きな目的の一つに六道輪廻からの離脱があるからです。これを解脱、悟りを開くと言います。悟りを開くと、六道輪廻から離脱して、生まれ変わる時は人間として必ず生まれ変わる。これが佛教の大きな目的の一つなのです。つまり、浄土宗と浄土真宗では解脱した方が肉体の死を迎えても霊魂は無くなっていないので、逆に菩薩や佛に変わられるのでおめでたいと言う事で喪中欠礼は必要ないと考えているからです。これは浄土宗と浄土真宗に限定した事ではなくて、開祖お釈迦様の教えそのものなのです。(お経にはその事が記載してあり、お釈迦様が後世に教えを残すためにお弟子がお釈迦様の伝えた内容をお経として編纂されました。)

ただし、残念ながら現在の浄土宗・浄土真宗にはこの教義と教えを実現できる作法は伝えられていません。

浄土宗浄土真宗に佛教の真の教えが伝えられた経路は以下の通りと言われています。

 

龍樹菩薩 (インド)

天親菩薩 (インド)

曇鸞大師 (中国)

道綽禅師 (中国) 

善導大師 (中国)

源信和尚 (日本、天台宗の僧。恵心僧都、えしんそうず)

源空聖人 (日本、法然聖人)

親鸞聖人 (日本)