見識や教養が何故必要なのか。
見識や教養が何故必要なのか
これは社内外や国内外に拘りません。見識や教養は社会人として必要なものと考えた方が良いです。仕事だけでは駄目です。仕事は勿論大変重要ですが、仕事から得られる見識は限られたものと考えた方が良いです。人間が持つべき教養や見識は仕事だけでは得られません。趣味なども係わってくるからです。宗教、言語、風俗習慣や各種の正当なマナーも含めて、深い見識や教養は人間性を豊にしてくれるからです。
例でお話します。対面でお話しする時に自分と価値観や考え方などが同等か上の方にはお話も盛りだくさんになる傾向がありますが、自分より下の方にはよほどの事がない限り、お話は弾みません。これが普通です。異業種交流や異文化交流で初めて接する方ならなお更、教養や見識が重要です。相手がお話しやすいか、お話を円滑にさせるのは教養や見識なのです。つまり、相手がお話やすい状況は自分の持っている教養や見識と考えた方が良いです。教養や見識の深い方は相手の気持ちを考えて行動されたり、言動に気使いをされるからです。
会社でも同じ事が起こっています。ある担当者がいくと、いろんな意見やアイデアが社員から提供されるが、別の担当者が行っても同じではない。何も意見もアイデアも出てこない。簡単に言うと、言っても無駄だから言わない。言う気になれない。こんな状態なのです。対面で良い情報を得るのは自分の教養や見識をあげる事から始まります。つまりは趣味も必要という訳です。見せ掛けの見識は認知されません。先ずは己自身を磨くことから始まると考えた方が良いのです。