温故知新は大切な過去からの言い伝え。
温故知新は大切な過去からの言い伝え
日本全国及び世界でも同様で、昔の方は後世に大切ですが伝える目的で、足跡を残している場合が多いです。感性の鈍っている現代人はそれら足跡をこんなものかと、見逃す事が多いようですが、知識や経験が充実すると、それらの本来含んだ重要な意味が解るようです。各地で残されている神社、お寺や石碑や仏像、彫刻、絵画等にも残されているようです。その残された石碑、仏像、彫刻や絵画を普通は美術品として見ていますが、これらは多くは後世の人々への教えが含まれていますので、神社や仏閣へは何かご利益があると思い込んで訪れますが、ご利益なんてありません。神社仏閣を訪れたならば残されている石碑や立てかけられている謂れを見たほうが良いです。普通は見逃す内容ですが、深い知識を持っておられると、意味の奥深さが理解できるようです。人間が行っている行為は大昔も今も大差はないように思われますので、昔の方々の残された物から学び、現代に活かせるものは多いのではないかと、考えます。昔から残されている物に注意をして見るのも価値があるように感じています。その時のポイントはこんな物だとの認識ではなくて、何故これが作られたのか?何故こんな形になったか?こんな色になったか?こんな風習になっているか?を考えますと解決や解釈の糸口が見つかるかもしれないです。解るようになりますと、生活してくるのが、楽しくなると思われます。そしてそこに隠された秘密を知りたいと思うようになると思います。昔の人は無駄に残していません。これらは殆ど後世への教訓の意味で残しています。その意味ではお経も同じです。後世への訓えの伝播の目的で作られています。
例として、浄土真宗のご開祖である、親鸞聖人が書き残された、《教行信証》にはお釈迦様が後世に伝える為に説法された内容が全て包み隠さず、記載されています。これは親鸞聖人が後世の信者の人々の為に書き残されたものですが、浄土真宗第8代門主蓮如上人までは良く読まれたようですが。その後の浄土真宗の僧侶も含めて、普通の方々は読まないですが、大変重要な事が書かれています。これも温故知新の一つです。