社長ブログ

生かされている事に感謝する。

2021.08.15

社長ブログ

人生の指南書にはよく表題の事が書かれています。普通この事は他人事と思い、気にかける人は少ないと思いますが、しかし事実なので少し考えてみられたらと思います。
社長の様に良くも悪くも国内外で仕事もプライベートの人生経験も豊富で、全く一人で誰からも教わることなく、会社を創業して艱難辛苦を乗り越えてきて、70才を過ぎる年になると、この言葉の意味が実感としてよく理解できます。
創造経営大学の時に家系図を作りましたが、我が杉本家で解った事は私の父の時代までは夭折(ようせつ、子供が数才でなくなる。成人くらいで亡くなる。早死にの意味です。)家系であったようです。特に男性の大半が夭折しています。私自身は現在、奈良県大和高田市大谷出身の杉本家の唯一の継承者なのです。そんな家系での背景の為か?父はいろいろと調べて杉本家に足りない事として、お寺での祭祀に力を入れていた様です。明確になっていなかった菩提寺の確立とお墓を作りました。我が家系にはそんな背景がありましたが、創造経営大学校の時に家系調査をして、その事がよく解りました。(私は父から引き継いだ訳ではないが、創造経営大学での学びのお陰で個人の為でも会社やそのご家族の為でもあり、先祖祭祀は以後必ずおこなっています。)
最初に自分が今存在しているのを考えた場合、今の自分の命を伝えて頂いたご先祖がいるからです。ご先祖がいなかったら今の自分は存在しない。身近では両親とその両親祖父母の存在です。遡るご先祖や遠祖の存在です。先ずは命を繋げていただいた身近な存在に感謝です。(私自身は廻向と言う方法で感謝の意味をご先祖に捧げています。)少なくとも自分を生んで育てて頂いた親がどうのこうのと悪態をつくなどの行為は人間としての最低の行為と考えたら良いです。天に向かって唾を吐くのと同じです。必ず自分に跳ね返ります。少なくとも教養と見識の有る方はこんな理不尽な事はしません。
創造経営大学の時には全員が過去5世代にわたっての家系調査をする事が必須になっていますが、これは過去の家系の不徳の部分を軽減させて自分の子や孫の世代に持ち込ませない等の目的があるのです。一方で現在の親子間で問題がある場合はその解決にも寄与しています。例として両親の離婚により、離れた実の親への違和感や嫌悪があった場合は兎に角面談するように薦めます。簡単ではないが殆どの方が離れ離れになっていた実の親との面談に成功して、会って良かった。との反応を頂いていました。実の親ですから、一時の誤解があっても時間と共に解決可能になるようです。これは生かされている事と今の自分が存在しているのは何はともあれ両親のお陰と言う事につきると思います。
 
生かされている事に感謝する、もう一つの意味は人間として生をうけて誕生したということです。地球上に存在する生命体(人、動物、植物などの生命体)の中で人間として生を授かる確立は3000年に一度とお釈迦様は言われています。これを信じるか?信じないかは問題ではありません。動物や植物でなく、ご両親を介して、人間としてこの世に生まれて、生かされている事が当たり前と考えるのでは無くて、感謝したほうが良いと思います。
これに関して、お釈迦様が後世にお伝えしたかった事の内容の大切な部分は六道輪廻という考え方があります。普通の人間は一端生を受けてこの世に生まれ出でても、その後の生き死には必ず六道界を行き来する。六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の6つです。この6つの中を回っている。つまり、人間に生まれたからと言って次も又人間に生まれ変われるかは解らない。植物かもしれないし、餓鬼や地獄に生まれ変わるかもしれない。普通の方は何も悪いことはしていないので、地獄には行かないと勝手に考えていますが、仏教の教えの悪行とは殺生のことなのですが、人間を殺した人は少なくとも間違いなく殺生でして、良い後生ではないようで餓鬼か地獄行きの可能性が大のように佛教でも教えられていますが、普通の生活をしている人でも日常茶飯事に殺生をしていると仏教では訓えています。人間は生きていくためには植物も動物も殺生して食べていかなくてはならない。これも仏教でいう殺生ですし、悪行なのです。殺生している自分を少しでも在る意味の罪の軽減は他人に対しての布施や奉仕の行動と言われています。殺生悪行を布施や奉仕をすることで、相殺する。こんな考えです。だから、佛教では布施や奉仕は人間として大切な行動なのです。と教えています。
という事で、何がしかの殺生をして、人間として生きていかなくてはならないのでお食事する時に、感謝して頂きましょう。ありがとうございます。(有難うございます。)ありえない事が起こる。これに感謝する意味で、有難う。仏教ではこう唱えるのですが、この事も少し考えてみられれば良いと思います。
そして、人生良くも悪くも生かされている。と感じて、これをどう捉えるか?ポジティブに捉えるか?ネガティブに捉えるか?です。私は有り難いと考える、ポジティブ派です。生かさせていてそしてその生きている間に何をするか?だと思います。人のお役に立てるような事をしたほうが良いと私は考えています。100年続く会社にしようと考えたのもこの辺の考えがあったからです。
蛇足ですが、お釈迦様は前述の六道輪廻から脱するのにはどうすれば良いかを求めて、28歳の時に妻子を残し、住み慣れたお城を出られて、行脚の旅に出られたということです。そして、いろんな苦行を経験された後、35才の時に、どういう経緯かは別にして六道輪廻から脱出されました。(この事を解脱という。悟りを開かれたとも言う。)六道輪廻を脱すると、六道界とは別の聖域である、四聖の世界に入ると言われていますが、四聖とは(声聞)、(縁覚)、菩薩、佛の四つです。四聖の世界に入ると、もう六道輪廻には戻らない。これらの詳細は全てお経(経典)に記載されていますので、もしご興味がありましたら、後日、可能な範囲でお話しする機会を設けたいと思います。それは兎も角、生かされている事に感謝しましょう。
そういう気持ちになりますと、つまらないちっちゃい他愛も無い巷の痴話は何とも感じないようになり、人生は楽しくなると思います。      以上